クラシカル・ホメオパシー

Das Hahnemann-Haus in Köthen

今年9月にベルリンに滞在したとき、一日遠足で、旧東ドイツにあるケーテン(Köthen)という街を訪ねました。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が1717ー1723年に宮廷楽長を勤めたことから、日本のクラシック音楽のファンにも良く知られ、日本人の観光客も多い街です。

 

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あまり知られていないのは、バッハのおよそ100年後に、ホメオパシーの設立者、サムエル・ハーネマンが1821年から1835年までケーテンに住んでいたことです。引っ越しの非常に多い人生(20回以上!)の中、いちばん長く一カ所に住んでいたのは、ケーテンでの15年間でした。日々の忙しい診療の傍ら、ホメオパシーの研究を続けながら、「慢性病」(Die chronischen Krankheiten )の5巻、そしてオルガノンの第3、4、5改正版を出版しました。

19世紀真中ごろのハーネマンハウス
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ハーネマンが開業して住んでいた家は、「ハーネマンハウス」という記念館として、今も「Wallstrasse 47」という住所に残っています。間取りや外観は何回も修理や改装されたそうですが、建物の形自体は、ハーネマンが住んでいた当時とそんなに変わっていないそうです。

 

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記念館の管理人の話を聞くと、階段の手すりと竃(かまど)の煙突だけは当時のままに残っているそうです。診療部屋におかれている椅子とデスクは、ハーネマンがケーテンから移り住んだパリで(1835〜1843年)使ったものですが、他の家具はオリジナルではありません。家具はすべて第二次世界戦争の爆撃によって全焼してしまいました。

診療室
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ハーネマンハウスで特に印象的だったのは、逍遥するハーネマンの姿が思い浮かぶような、程よい広さの静かな裏庭と、診療部屋の棚に入っている、ハーネマン個人の携帯用薬箱でした。1835年にケーテンからパリに引っ越すときに、友達や弟子からプレゼントされたものです。このローズウッドや螺鈿の象嵌でできた立派な箱はハーネマンに対する敬意や感謝を物語っています。コルク蓋に書かれた手書きのレメディー名はハーネマンの自筆です。

ローズウッドと螺鈿の象嵌で出来た携帯用レメディー箱
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レメディーはポテンシーによって整理されています。
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コルク蓋で閉まっています。
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瓶の形も今とちょっと違います。
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レメディーの名前はハーネマンの手書きです。
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ケーテンを訪ねたら、ハーネマンハウスの他に、もうひとつとてもお勧めしたいところがあります。ケーテンから車で30分のところに、デッサウ(Dessau)という街があります。デッサウもハーネマンにとって大事な場所でした。1781年、ハーネマンはデッサウにある薬局で薬剤師の研修を受け、その薬局の娘(Henriette Küchler, 1764-1830)と1782年に結婚しました。

とは言っても、デッサウをお勧めするのは、ホメオパシーの歴史を探るためではなく、1925年から1932年まで、現代デザインの一つの原点である、バウハウスの学校があったからです。現存する建物は今、世界遺産に登録されています。校舎(Das Bauhaus)、先生達の住宅(Meisterhäuser)と実験的な住宅団地(Siedlung Dessau-Törten)を見物しますと、新進歩的で良いデザインとは、どれほど生活感に基づくべきか、そしてはっきりした社会的や政治的なスタンスを持つべきかを、改めて感じさせてくれる場所です。

 

バウハウスの校舎
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バウハウスの校舎
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学長(Martin Gropius)の事務所
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学生の寮の部屋
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