クラシカル・ホメオパシー

健全な食生活というのは?(4)          食材汚染の問題:「制限値」の制限

放射能、農薬、BPA、水銀などの有害物質に食品が汚染されているかどうか、実際にどれほどの量が含まれているか、危険かどうかについて生産者に問い合わせると、全く応答しない会社もありますが、多くの場合「国の制限値以下ですので安心してください」という答えが戻ってきます。「制限値以下」であることは当たり前の話ですが、何を根拠に「安心してください」と言えるのか、僕はいつも聞きたくなります。

もちろん、規制や制限値が全くないよりは、何らかの(そしてできるだけ厳しい)制限値はあるべきです。けれども、制限値と人間の健康の関係を突き詰めて考えると、「制限値」という考え方自体、かなり制限された意味しか持っていません。その理由は大きく三つあります。

① 体調の個人差
② 複数の有害物質の同時摂取と複合作用
③ 一生の間の接収による長期的負担

① 体調の個人差。

ある有害な物質をどのくらい摂取すると、人間の体に害をもたらすのか。このような量的な話には、実際かなりの個人差があります。例えば、細塵による大気汚染が基準を超えると、喘息に近い症状になって家を出られなくなる人もいれば、平気で外でジョギングする人もいます。ワインを一口飲んだだけで、顔が真っ赤になって調子がかなり狂う人もいれば、一人で丸一本飲んでも何ともない人もいます。有害物質に対する抵抗力は、個人個人によって大きく違います。体格、体質、健康状態、精神状態、年齢、病歴などによって、有害物質に対する耐性が大きく変わるからです。制限値よりうんと少ない量を摂取しても、体にかなりのダメージを受ける人もいれば、制限値の倍量を取り入れても何の問題もない人もいます。制限値は生活者一人一人の実際の健康を配慮した数字というよりも、政治家、研究者と企業の力関係で決まってくるものです。

② 複数の有害物質の同時摂取と複合作用

ある有害物質の妥当な制限値を決めるためには、研究と実験が必要です。この研究や実験は、ほとんどの場合、一つの有害物質に限って行われています。つまり単体の危険性を調べているのです。けれども実際の生活では、私たちは毎日さまざまな有害物質に触れており、同時にそれらを体に取り入れています。複合的な汚染については、全く制限値に反映されていないのです。いろいろな有害物質を同時摂取した場合、その相互作用や複雑な蓄積によって何が起こるか。実験室の中に答えはありません。実際の世界で生きている人間は、毎日過剰とも言えるほど多くのものを摂取している上に、体内の複合関係はとても複雑で、まともな研究はほとんど不可能に近いと言ってもいいのです。ちなみに科学者たちはこの複合関係を「カクテル効果」と呼んでいます。

③ 一生の間の摂取による長期的負担。

②とよく似た問題で、制限値を決めるための研究や実験は(主に可哀想な動物を利用して)何ヶ月間、長くても2年間のスパンで行われています。しかし現実の生活では、私たちは有害と思われる物質を一生の間、生まれてから死ぬまで、ほぼ毎日摂取するわけです。定められた制限値はどれも短期的な研究によるもので、長期的な研究ではありません。有害物質による被害が、次世代で初めて見えてくる可能性もあります。

「ただちに健康被害が出ること­はないし、将来にわたって健康に被害を与える放射線量を受けることはない」という台詞を、5年前によく聞かされました。前半の部分には納得しても、未来についての発言は一体どの根拠に基づいて言えるものでしょうか?こういうことを断言する人たちは、どのように30年先、60年先の未来のことを調べてきたのか?経験や科学の領域というより、希望的観測の発言ですね。

もちろん有害物質はいろいろとあります。体内に蓄積、濃縮するものもあれば、体内で分解される、あるいは時間と共に排出される物質もあります。ただし、いずれ排出されるといっても、体を守るためにずっと毒物を分解、排出し続けなければならない状況は、生き物にとって大きなストレスになります。環境にばら撒かれ、空気、水や食材を通じて摂取する有害物は、微量でも暗騒音のように現代人の体に絶えず負担をかけています。

単体での健康被害が簡単に証明できなくても、これらの負担全体が人間に害をもたらすと考えてもおかしくない、と僕は思います。現代の生活が衛生、栄養の面で大変充実しているにも関わらず、近代医学が遺伝子操作の域まで発達しながら、アレルギー、ガンや自己免疫疾患などの厄介で治りにくい、そして病気の正体がよくわからない難病が増えつつあるという事実も、この有害物の暗騒音的な負担と関係していると十分に考えられます。

従って、健全な食生活のためには、食材の中の有害物を出来るだけ減らすことをお勧めするのですが、、、実際のところ、一般的な環境汚染による食材汚染の場合は、個人的に努力しても避けることが難しいのが現実です。どうしたらいいでしょう?資本主義社会の発達による環境汚染の問題を真面目に考えると、絶望感に落ち入りがちです。ただ、ブログでこれほど汚染の例を取り上げたのは、読んでいる皆さんの気持ちを暗くさせるためではなく、個人的な関心としか考えられていない自分の食生活が、どれほど複雑で厳密に、社会的、政治的な要因と繋がっているのかを示すためです。

良心的な店で、できるだけ汚染されていない食材を買うことは当たり前ですが、健全な食生活を守るため、一人一人が自分が住んでいる地域と国の農業のあり方、食材生産の仕組、それについての政治や社会的問題意識にもっと積極的に興味を持って、情報を集め、理解を深めることも必要です。先進国の中でも、特に日本では課題と宿題が多いように見えます。

2020年、オリンピックが日本で開催されます。日本はオリンピック・ビレッジに滞在するおよそ17.000人のスポーツ選手やそのチームを、どんなおもてなしで歓迎するのでしょうか?2012年のロンドン、2016年のリオデジャネイロのオリンピックも、オリンピック・ビレッジで提供された食材や食事は、基本的に全て有機農業によるものでした。東京オリンピックではどうなるのか、日本の責任者(厚生労働大臣)はまだ決めていないようです。今すぐ有機にすると決断しても、慣行農業から有機農業へのシフト、土づくりには何年もかかります。間に合うのか?という有識者の声が聞こえてきます。