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2021.02.19

コロナで死ぬ? ー Covid-19の危なさについて

コロナ展望録。

その7前回のブログでは、イタリアを手掛かりに、新型コロナウイルスの流行がどんな環境やセッティングの中で、危なくなりうるのかを見てきました。今回は視線を変えて、どんな人にとって危なくなりうるのかを見ましょう。

イタリアで新型コロナウイルスが流行り始めてから、イタリアの国家公衆衛生研究所 (Istituto Superiore di Sanità, ISS) に属している Epicentro 研究所が、イタリアにおける新型コロナウイルスとの関連で亡くなった患者の特徴について、2週間毎に細かいレポートを出し続けています(Characteristics of SARS-CoV-2 patients dying in Italy)。2020年4月16日の最初のレポート(PDF)と12月16日の最近のレポート(PDF)を照合わせてみると、累積計算で出した死亡者数以外は、紹介されたデータは大きく変わらないので、その特徴をある程度正確に表わしていると思います。63.573人の死亡者を対象とする12月のレポートは他月に比べてやや詳細ですので、主に12月のデータを手掛かりにします。

まず新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)関連の死亡者について、「メディアン(中央値)年齢」「平均寿命」「健康寿命」を比較します。健康寿命というのは一般的に「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間」を表します。(ウィキペディア)。

Figure 1 はイタリアで新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の関連で亡くなった人のメディアン(中央値)年齢を表しています。82才です。WHOの計算に拠ると、イタリアの健康寿命は72.8 才、平均寿命が82.7才です。つまり、Covid-19の関連で亡くなった人の年齢は、イタリアの平均寿命に非常に近い数字です。他の国ではどうでしょうか。比較してみましょう。(JPGウェブサイト

アメリカ 健康 68.1才  寿命 77.8才 コロナ 78才
カナダ 健康 72.3才  寿命 82,.2才 コロナ 86才
ベルギー 健康 71.1才  寿命 81.1才 コロナ 86才
イギリス 健康 71.4才  寿命 81.2才 コロナ 82才
ドイツ 健康 71.3才  寿命 81.0才 コロナ 83才
フランス 健康 72.0才  寿命 82.4才 コロナ 84才
スウェーデン 健康 72.0才  寿命 82.4才 コロナ 84才
スイス 健康 73.1才  寿命 83.4才 コロナ 86才

この統計によれば、Covid-19との関連で亡くなるメディアン年齢は、殆どの国で、その国の平均寿命を上まわっています。イタリアが少ししたまわるのは、前回のブログで論じた問題から来る可能性が高いです。

Figure 2 は年齢層ごとに死亡者の人数を示しています。確かに、新型コロナウイルスの感染は、主に高齢者に致命的な結果もたらすことがあるため、「新型コロナウイルスは年寄りに危ない」とよく聞きます。その影響で、多くの高齢者が大きな不安を抱えながら日々の生活を送るようになりました。しかし、この言い方は真実の半分しか伝えていません。

Epicentro 研究所がまとめる、別の図を見ましょう:
Proportion (%) of COVID-19 cases notified in Italy in the last 30 days, by clinical status and age group。 この図は、2月18日の時点で、過去30日間に報告された、症例数237.579人の Covid-19 ケースを元に、年齢層別にその臨床状態をまとめています。(ウェブサイトJPG

色別の分布ー無症状(asymptomatic)、わずかな症状(paucisymptomatic)、軽症(mild)、重症(severe)、危機的(critical = 集中治療用)を、年齢ごとの割合で見ますと、80代も90代も、80%以上の感染者が、無症状〜軽症で治ります。危機的な症状は若い人より多いとはいえども僅かです。この図から言えるのは、「私たちの多くは年齢とは関係なく、新型コロナウイルスをコントロールし、その感染を大きな問題なく乗り越えるための、十分な防御力を持っている」ということです。

では、大半の高齢者にとって新型コロナウイルスの感染は危なくないとすれば、逆に、どんな高齢者にとって、その感染が致命的な経過になりうるのかを見ていきましょう。

レポートの項目(4)は新コロナウイルス関連で亡くなった人の健康状態を表します。新型コロナウイルスとの関連で亡くなった人たちの基礎疾患(既存疾患 pre-existing conditions、併存症 comorbidities)をあげています。「全体では、併存疾患なしの死亡者が 3.1%、併存疾患が単一で 12.4%、併存疾患が2つで 18.4%、3つ以上で 66.2% であった。」つまり、亡くなった人は平均的に(新コロナウイルス感染と別に)3つ以上の既存疾患を患っています。Table 2 では、その疾患を細かく羅列しています。一番多いのは以下の疾患です:心血管疾患(虚血性心疾患、心房細動、心不全)、高血圧症、2型糖尿病、認知症、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、過去5年間の活動性のあるがん、慢性腎不全。

高齢になればなるほど、持病が増えれば増えるほど、寿命に終わりが近づいてくるのは、ウイルスの特徴ではなく、人間の命の特徴です。その状況であれば、どんな病原体の感染でも死に至る可能性があることを示しているに過ぎません。

病気を患う人が高齢で死ぬとき、なにを「死因」とするのかは、難しい問題です。マスメディアや政治家が発する「コロナ死亡者」という単純な表現に対して、イタリアのレポートを書いた医師は、多くの医療専門家と同様、敢えて「新型コロナウイルスとの関係で亡くなった」という言い回しを選んでいます。寿命で死んだのか、持病で死んだのか、コロナウイルス感染で死んだのか、それそれの要因がどれぐらいの割合で死ぬことに貢献したのか、そういうことは見分けられません。統計を作る人はコロナか、コロナでないかという二進的なカテゴリしかありませんが、生き物の現実はもっと複雑で微妙です。

ちなみに、敢えて死因を特定する検査も時々あります。スウェーデンのストックホルム県で、去年3月と6月の間に老人ホームで亡くなった「コロナ死亡者」の死因を分析したところ、次のような結果を発表しました。死亡者の17%はCovid-19感染が主な死因として、8%は感染したものの別の病気が死を引き起こした、そして残りの75%は、年齢、脆弱性、複数の罹患率が主な原因ですが、Covid-19感染も基礎要因のひとつ、というデータです。(PDF

人間の死を外から分析して、死因、カテゴリーや数字に落とそうとする試みには限界があります。なぜなら、生き物が他所からくる死因で無くなる、という考え方そのものが、生命の現実から離れているからです。生き物は絶えず、数えられないほどの膨大な物事に影響され、攻撃、負担、ストレスを受けつつ、自分のバランスを保ち続けています。そのバランスを絶え間なく保ち続けるために働く生命力が、人生が終わるに連れて弱くなり、そしてある時からバランスを保てなくなる。それこそが、死へのプロセスの始まりです。ガン、心臓病、病原体よりもまず、生命力の脆弱こそが、根本的な死因なのです。

新型コロナウイルスの話に戻りましょう。亡くなる感染者のほとんどは肺炎になって死にます。ご存知のように、肺炎は主に栄養不調で病弱な子供と高齢者にとって危ない病気です。国の所得の高い低いを問わず、メジャーな死因の一つです。ここ数十年において、年齢別の肺炎の死亡者数を見ますと(JPG)、子供の死亡率が過去30年間著しく下がりつつあるのに、高齢者の死亡率がほぼ横ばいにとどまっています。(JPG)これは、貧困撲滅が進んで、生活環境、食生活、教養が改善され、世界中で病弱な子供が減り、肺炎で死ななければならない子供が大幅に減ったことを示します。

一方、高齢者の肺炎の死亡率が大きく下がらないのは、肺炎が人生の終わり頃になりやすい、ごく普通で、自然とも言える死のプロセスだからです。高度な医療システムがある日本でも、医療や医薬がどれほど進んでも、肺炎の高齢者の死亡率は減りません(JPG)。 逆に高齢社会の中で高齢者が増えるので、肺炎をきっかけでなくなる高齢者の絶対数は増えます(JPG)。人生の終わりを迎えて衰弱していくとき、肺炎にかかりやすいのは、人の生の自然の成り行きとも言えます。

それでは肺炎について、お話ししましょう。上気道(鼻、喉、気道)と下気道(肺)は、人間にとって、体内と体外の一番大きな接触面です。ガス交換が行われている肺胞のすべてを広げれば、大人の肺の場合、70-100 平米の面積になります。大人はそこに毎日に10.000-20.000 リットルの空気を吸い込んで、また吐きます。肺の中に生きている微生物(肺のバイオーム)もいますし、息を吸う度に外から吸い込まれる、数えられないたくさんの細菌、ウイルスや粒子(PM2.5)なども入ってきます。人間にとって危ないものが吸い込まれても、元気なら、体の防御機能や免疫力が問題なく肺のバランスを保ち、その機能を守りながら、感染と炎症が起こらないように働いています。加齢、持病、薬の使用により免疫や生体防御機能が衰えると、病原体のコントロールも困難になります。病原体の侵入と繁殖が、健全なバランスを越えると、免疫力(自然治癒力)の抑制が働いて、咳、熱、炎症などを起こします。このとき、深い倦怠感を伴うのは、体ができるだけ自分のエネルギーを防御反応に注ごうとしている証拠です。もともと元気な人なら、特別な治療をせず、休養をすれば健康を取り戻せますが、全体的に生命力が弱った人、あるいは以前から免疫系の働きに大きな問題がある人なら、70-100平米の広さの臓器を守るには、力が足らなくなります。治療を受けても、肺炎をきっかけで命の火が消えるのは、致命的に危険な病原体によるものというよりも、人間の生物的現実によるものです。

新型コロナウイルスと別に、肺炎を引き起こせる微生物は昔からたくさんあります。菌類や寄生虫による肺炎もたまにありますが、一番多いのは細菌(肺炎レンサ球菌、インフルエンザ菌、クラミジアなど)とウイルス(ライノウイルス、コロナウイルス、インフルエンザウイルス、RSウイルス、アデノウイルス、など)です。厚生省の報告により、高度医療システムを誇る日本でも、2018年に 94,661人が 肺炎で亡くなりました(PDF)。平均すると、毎日260人の高齢者が自宅、または病院や介護施設で肺炎をきっかけに亡くなっています。コロナ肺炎でない限りには、昔も今も肺炎で死ぬことは話題になりませんが。コロナ肺炎となると大きな騒ぎになってしまうのは、世界がどれほどコロナ管見に囚われているかをもの語っています。

ちなみに日本で2020年2月からの一年で新型コロナウイルスとの関連で亡くなった人は 7,196 人です。(2月18日の時点)。2019年に国内で亡くなった人の総数は 1.376.000 人です。

新型コロナウイルスは、特別に恐るべき、致命的な病原体ですか?あるいは、肺炎を引き起こせる、他のたくさんのウイルスと同様に、人生の終わり頃の自然な死因なのか?その答えは、自然をどう捉えるかによって、まるで違います。

ちょっと乱暴な言い方ですが、自然についてのものの見方と考え方は、二つに大別できます。自然と人間は対立関係にあり、上手に生きるために、人間が自分の外の自然と自分の中の自然をコントロールすべきで、いずれ科学や技術の進歩により、完全に制御できるようになると思う人。他方、自然は基本的に制御不可能で、人間が自然に包まれて、その一部として、自然との複雑な動的な相関関係にあって、そして上手に生きるために、自然と呼吸を合わせて、それに従い、応じながら生きるほかならないと考える人。

前者のコントロール派にとって、新型コロナウイルスのような、突如出現した制御できない病原体は恐るべきものです。それを閉じ込め、全滅させるために、戦うことに一生懸命になります。どんな戦争もそうですが、あまりにも情熱的になりすぎると、物事が大きく芳しくない方向へもつれます。

ウイルスをコントロールするため導入されたソーシャル・ディスタンシングという新しい「マナー」のおかげで、たくさんの高齢者、子供、学生、大人の生活がより孤独になって、生きる楽しみが減っています。国境閉鎖とロックダウンのせいで、これから多くの国で貧困、栄養不良、それに伴う病気、マラリア、結核や(コロナウイルスでない)肺炎による死者の人数も、大きく増えてしまうでしょう(PDF)。ウイルスそのものが引き起こす犠牲と被害より、このウイルスに対する戦いが、巻き添え被害(コラテラル・ダメージ)としてもたらす被害と犠牲者の方がもっと深刻です。

昨今のウイルスを閉じ込めようとする戦いは、人間の自然に対して戦うことになり、その延長戦で自分自身に大きな損傷をつけてしまうことになります。ウイルスを許し、それを受けいれつつ、絶え間なく自然と新たなバランスを探しながら、寿命を全うする、という積極的な生き方こそが賢明と、僕は思うのです。「長い時間軸を持って、リスクを受容しつつウイルスとの動的平衡をめざすしかない。」福岡伸一(PDF)

次回のブログは新型コロナウイルスが引き起こせるCovid-19肺炎の治療について、そのアロパシー的なアプローチとホメオパシー的なアプローチについて書く予定です。