Profile
経歴 | プロフィール
南ドイツの古都アウグスブルグ生まれ。大学で哲学と神学を学ぶ。1985年、京都大学に留学。1989年、ドイツで哲学博士号を取得。文部省の国家公務員として京都工芸繊維大学に勤めるが、その仕事が自分に添うものではないと気づき、退職。その後、日本・ヨーロッパを拠点に学術と文化の分野で活動し、ギャラリー「日日」(京都)を主宰。2003年、医学の道を志し、ドイツでホメオパシーを学ぶ。ベルリンの名ホメオパス、アナリサ・アダミに師事したのち、2006年にドイツの医術従事許可「Heilpraktiker」を取得。2006年、東京にて開業。2014年、京都にプラクシスを移転し、京都、東京でクラシカル・ホメオパシーを実践する。2021年から、勉強グループ「リビング・ホメオパシー」を主宰。
ホメオパシーへの道
私とホメオパシーとの出会いを辿るとき、うっすら記憶にあるのが、子供の頃に病気(麻疹、風疹、おたふく風邪)にかかった時、母に連れられてホメオパシーを施す小児科医へ行き、小さな砂糖粒を飲まされたことです。それが初めての出会いでした。以来、元気で通院や入院の経験もありませんでしたが、30代になって人生の壁を感じたことをきっかけに、心身の健康管理のため、積極的にホメオパシーを受け始めました。自分の主治医だったホメオパス、アナリサ・アダミの強い誘いでホメオパシーの勉強を始めたのは、40代になってからです。4年をかけて集中的にアダミ先生からホメオパシーの精神や治療の実践を学び、基礎勉強を修了して、2006年にドイツの医術従事許可「Heilpraktiker」を取得。(Heilpraktikerというドイツの医療免許については、ブログを参照)その後、アダミ先生の許可を得て、2006年に日本で開業しました。
その後も毎年2、3回のペースで、海外での学会や研修会に意欲的に参加し、主にアナリサ・アダミ、ラヴィ・ロイ、アンドレ・セインのもとで研鑽を積んできました。ホメオパシーは一生をかけても学び尽くせるものではなく、今も研修会に参加し、ヨーロッパやインドの同僚との交流、意見交換、スーパービジョンを活発に行なっています。
日本におけるホメオパシーの未来
私にとってホメオパシーとは何か、と問われればこう答えるでしょう。「生命、そして人間の生き方と存在をあらゆる繋がりのなかで考えると、ホメオパシーはそうした全体にとって一番相応しい医学であり、心身の不調や病気を治すために最も優れた治療方法です」と。
日本におけるホメオパシーは独特な広がり方をしてきました。このため、ホメオパシーはアロマセラピー、スピリチュアルヒーリング、フラワーエッセンス、自己啓発などと同列にされ、過小評価される傾向にあります。ホメオパシーは厳密な意味において科学的で、体系化された医学です。最高の水準で施されれば、現在主流になっている近代医学(西洋医学)の欠点を補う補完医療としてではなく、近代医学とそのもう一つの選択肢として認めるべきまっとうな医学です。ホメオパシーは、持続可能な未来の医療のための切り札になることができるのです。
現代では、ホメオパシーのさまざまな流派、学閥、独自のホメオパシーを掲げる指導者が世界中に増えました。多くの人にとって、時にはホメオパスにとっても、ホメオパシーの核心が見えにくくなっています。本来のホメオパシーとは何か、ホメオパシーの最高基準とは、一体どこにあるのか。私にとって、それはホメオパシー有史以来、もっとも大輪の花を咲かせた19世紀のドイツ、アメリカやイギリスの名ホメオパスたちです(Hahnemann, Lippe, Jahr, Bönninghausen, Hering, Fincke, Dunham, Kent, Burnett, Cooper, Clarkeなど)。いま流行りの有名な先生たちの本を何冊も読むより、この大御所たちの書物を一冊手にして塾読すれば、クラシカル・ホメオパシーの実践に大いに役立ちます。
ホメオパシー発祥の地であるドイツに生まれ、ドイツで学び、そして日本で開業したドイツ人のホメオパスである私が願うのは、近い将来、日本にホメオパシーが深く根根ざすことです。
私の先生の紹介
Annalisa Adami(1956 - 2014) | アナリサ・アダミ
ドイツ系イタリア人。インドのラヴィ・ロイにホメオパシーを師事し、1990年ベルリンで開業。論文や本を一冊も出さない独特の診療スタイルでありながら、診療は半年待ちという評判の人気ホメオパスとなり、ヨーロッパ全土から患者が訪れる。2003年からは、小人数のためのホメオパス養成講座を開く。自身の豊富な臨床経験を元にして、クラシカル・ホメオパシーの精神、技、そして治療の知恵を貢献的に教えた。レメディーの特質を演劇に仕立てて上演するHomöopathisches Welttheater(ホメオパシー世界劇)を主宰。アダミの一番好きな講座のやり方は、1〜2週間のリトリート形式で、小さなグループで共に生活しながら、集中的に教えるものだった。私も最初の4年間はこのようなかたちで、毎日の睡眠を削りながら、ホメパシーの基礎を学びました。
Ravi Roy(1950- ) | ラヴィ・ロイ
インドのホメオパシー医師の家に生まれる。子供の頃よりホメオパシーのメリットを体験しながら、父親からホメオパシーを学ぶ。国立のNehru Homoeopathic Medical Collegeでホメオパシーを勉強し、D.H.M.S (Diploma in Homoeopathic Medicine and Surgery) を取得し卒業。ホメオパシーに関して英語の文献しか読めないことに強い不満を感じ、ハーネマンの著作を原書で読むためにドイツ語を学ぼうと決意、1976年にドイツに渡る。ドイツで出逢った夫人と一緒に開業。インドのホメオパシーの豊富な経験と知恵をドイツで紹介しながら、ホメオパシーの本質を探り、ハーネマンの文献を情熱的に研究する。ケントのレパートリーを新たにドイツ語訳するなど著作多数。ドイツでホメオパシー学校をいち早く設立し、大勢のホメオパスを育成した。ドイツにおけるホメオパスの養成と教育に、最も貢献したひとりです。
Andre Saine (1953- ) | アンドレ・セイン
カナダのモントリオールで医師の家に生まれる。1982年にポートランドの National College of Naturopathic Medicine を卒業し、モントリオールで開業。33歳のときに仲間と一緒に、The Canadian Academy of Homeopathy という学校を設立。「19世紀に活躍したホメオパスこそ、医学の全歴史の中で前例のない臨床結果を達成した」という確信を持って、その時代の名ホメオパスによる Pure Homeopathy を自分の治療、研究、教えの礎とする。セインは難病(主にガン、自己免疫疾患、MS など)の治療に特化しながら、ホメオパシーの治療範囲を意欲的に広げている。19世紀にハーネマンやヘリングやアレンが行った画期的な取り組み以来、殆ど前進していなかったマテリア・メディカをアップデートする、MMPP(Materia Medica Pura Project)を2005年に発足。ヨーロッパで開催される、セイン主宰のリトリート式講座やMMPPのミーティングには私も定期的に参加し、またMMPPのティーチャーグループにもメンバーとして参加しています。