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レメディーと薬剤、そのコンセプトの根本的な違い
従来の近代医学が用いる薬剤には(ほとんどの場合)、一定の毒性のある化学的な作用物質が含まれています。その作用物質が人体の病的な局部や、脱線した機能に直接与える影響を目的として投与されます。
たとえば:男性(もしく女性)ホルモンの分泌を抑えるためのホルモン剤。傷口に増えすぎた菌を殺すための抗生剤。免疫力を抑えるためのステロイド。体の炎症反応を抑制するための抗ヒスタミン剤。痛みの伝達に必要な酵素の生産を止めるための鎮痛剤。脳細胞の伝達を弄る(妨げる、または進める)ための向精神薬と睡眠剤。血管を広げるための降圧剤。腎臓の中の水の再吸収を抑制するための利尿剤、などなど。
従来の近代医学には、多くの場合、「健康」として定義されている状態を数字で表す「標準」があります。体の機能や数字が、この標準から離れたり脱線した状態を「病気」として捉えるのです。そして薬剤投与によって、体の科学を直接的に左右しながら、その脱線した数字や機能をふたたび「普通」と定義されている基準値に戻そうとします。
ホメオパスが使うレメディーの働き方や効能は、根本的に違います。ホメオパシーのレメディーは、天然の素材を原料とし、化学的な毒性が一切残らないように、高度に希釈しながら製産されます。そして患部に直接的、化学的な影響を及ぼせるために投与するのではありません。ホメオパシーのレメディーは、患部より、患者さんの全体に注意を払い、その人の生命力、治癒力の反応を誘発するのを目的としています。患者の生命力と自然治癒力を働かせるため、適切な刺激を与えるのがレメディーの役割です。正しく選んだレメディーに対する反応の働きによって、患者が病気を乗り越え、自分の健康を回復します。
化学治療に頼る近代医学と、レメディーを使うホメオパシーでは、そもそも「生命」と「生きること」自体を、まるで違った形で理解しているのです。
近代医学は、生き物の体を一種のメカニズムや機械のように捉えています。生命体を、非常に繊細で複雑に機能する「いきもの機械」と考えているのです。つまり、「生きること」や「生命のこと」は、近代科学がこれまで見出した法則(主に物理学や化学の法則)に基づいて十分に説明できる、という推測のもとで発展してきた医学です。哲学的に言うなら、近代医学は、その理論や実践において機械論的な世界観に留まっているのです。
人間の生きている体を一種の機械として考えるなら、病気とは「故障」であり、医術や治療は「修理」です。体という機械が正常に働けなくなった時、化学治療や手術という手段をもって、その壊れた部分や脱線した機能を正し、正常な働きに戻すような修理。病院の医者が人間の病気と健康を主に数字を見ながら判断していることも、その機械的な世界観の一つの表れです。
ちなみに、最近、耳が痛くなるほど叫ばれている AI (Artificial Intelligence)の推進も、僕には全く同じに感じられます。ありとあらゆるモノとコトを、数字と計算をもって説明やコントロールしようとする世界観に基づいています。しかしこの世界観は、僕からすればあまりにも単純で単一化された、ものの見方や考え方に過ぎません。
人間とその体は、化学と物理学の法則に従うような、単なる物質的な「もの」ではなく、生きている生命体です。生きている生命体とは、(数字で把握できる)物質的なものでありながら、生命が宿っている場でもあります。そして「生きること」「生命」は、科学的な、物理的な、数字的な側面を持っていても、それのみに帰することなど、到底できません。
どんな生命体も、どんな生き物も、数え切れない関係と繋がりの中に生きています。割合身近な、日常生活や人間社会からくる関係(祖先、家族、友達、社会環境、仕事)もあれば、もっと大きな自然世界からくる生物的な関係(地球、動物や植物、水、空気、光、太陽、月、宇宙、天気や気候、風土、生物の進化臓器、体内微生物など)もあります。こういった関係の中で絶えず左右前後しながら、刺激を受けたり与えたりすることで、我々は生きています。この数え切れない繋がりや関係の間で、絶えず、自分の元気や幸せに必要なバランスを取り、自分の命、生命や生活を保つこと自体が「生きること」だと言ってもいいです。
喉が渇いたときに、水を飲む。インフルエンザが発症したときに、(治すために)熱を起こす。好きな人に近寄る。嫌な仕事場から離れるために、転職する。寒くなったときに、厚着をする。疲れたときに、寝る。痛いところを避ける。喜びを感じる機会を増やす。走るときに、血行を増やして、足にたくさんの酸素を送る。生き物は毎秒、細胞のレベルで、体のあらゆるところ、心、頭、そして人間関係や社会、地球の上と宇宙の中で、数えきれない数の「バランス」を取っているのです。このバランスが十分とれなくなると、病気になります。完全にできなくなるとき、それが死です。
このバランスを取る能力は、「生命力」という言葉で表現できます。その生命力の一つの大事な働きは、生き物に備っている自然治癒力です。自分自身を治せる(元気なバランスを取り戻す)力は生きものに特有の能力です。機械は自然治癒力を持っていません。
近代医学の一番大きな盲点や問題は、生命力の忘失にあります。生命力を生かす、活気させる、刺激することによって、病気を治すことができる、という認識も、そのために必要な知識、経験や知恵も、完全に消失してしまいました。
歴史をふりかえってみると、19世紀までは、ヨーロッパとアメリカの西洋医学の医療システムには「生命力を活かす」というコンセプトに基づく医術がたくさん存在していました。(ホメオパシー、食事療法、水療法(hydrotherapy)、オステオパシーなど)。ところが19世紀後半になると、化学産業や製薬産業が盛んになるとともに、生命力という言葉、そして人間の生命力とともに働く医術も、医大のカリキュラムから消えました。近代化学による化学治療の開発は悪いことではありません。問題にすべきは、その進展が医療のすべてに、近代自然科学が推進している(そして、自らの出発点とする)限られた世界観と生命についての狭い見解を、独占的に、医療のすべてに押し付けようとするところです。近代医学は、「生命力」を医療の主眼にしている医術を排他しようとする傾向にあります。この束縛は、つまるところ、医療の質と効率を下げてしまいます。生きる人間には、生命力や自然治癒力が与えられているのですから、それを病気の治療のために活用しない手はありません。
ホメオパシーは生命力を病気の治療の中心とする医術です。ホメオパスは患者が苦しんでいる病気の症状を、バランスを失い、調子が崩れた生命力の表現として理解しています。症状は病気ではなく、症状は病気の一つの表れ、不調に傾いた生命力の表現です。
この理解を踏まえると、治療における症状の意味が違ってきます。生命力を無視している従来の近代医学は、患者の症状を、その人の生命力を緊縮させ、生きるのを邪魔する「悪者」にしてしまいます。その結果として、近代医学は症状を(病気として)対症療法的に抑えよう、あるいは消そうとします。
ホメオパスにとって、症状とは、生命力を緊縮するものではなく、もうすでに緊縮している(調子を失っている)生命力の表現です。もっと正確に言えば、失われたバランスを取り戻そうとする、だけれども、それを自然に素早かに、自力で取り戻せない生命力が、その困った状態を症状を通じて表現します。言い換えれば、症状は「助けてください」とお願いしている生命力の声なのです。
その声を丁寧に聞くことができれば、生命力に必要な手当てや手助けが具体的に見えてきます。ホメオパスが患者の変わった体調や気分をあらゆる側面から丁寧にそして細かく聞いたり、観察したりするのは、その声をできるだけ正確に聞くためです。患者の症状や変わった様子が、レメディーを見つける手掛かりになります。「似たもので似たものを治すべきだ」というホメオパシーの原則に従って、きちんと選んだレメディーを飲めば、そのレメディーが生命力に刺激を与え、そのレメディーに共鳴、反応しながら、生命力が元の調子を取り戻せるようになり、その結果として病気の症状も治ります。
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