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前回のブログで、発熱を免疫力の有難い、有益な治癒反応として説明しました。免疫が、生命のバランスを脅かそうとする病原体に対して、熱という武器(防衛機能)戦います。こういう形で病人の体が一時的に戦場になります。自分の生命のバランスを脅かそうとする病原体と、そのバランスを取り戻そうとする、免疫系の防衛反応との間の戦いが、熱が高ければ高いほど、激しく感じます。それで多くの人がしんどくしんどくなり、ぐったりになります。このところで、発熱を病気治すための有益な味方ではなく、病気の一部として戦うべき敵と勘違いし、熱を下げたくなります。

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前回のブログで(リンク)紹介したように、発熱は、体が病気を早く乗り越えるために自ら起こす免疫反応ですので、有益であり、基本的には体に害をもたらすことができません。確かに、熱、特に高熱はしんどく感じることが多いですが、怖がるべき、抑えるべきものではありません。熱の時、親の大きな心配のひとつは熱性痙攣です。熱性痙攣を起こす子供を初めてみると、パニックになりやすいのは当然です。子供の手足が硬直し、その後(あるいは交互に)、手足ががくがく震える。意識が朦朧とし、声をかけても、名前を呼んでも、通常のように反応しない。目の焦点が合わなくなり、あるいは眼球が上転し、白目を剥く。(珍しい症状として、唇や顔が紫色に変色する、嘔吐、失禁、脱力などもあります。)

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発熱をどう受け止めるのか、熱とどう付き合うのか。これについての考え方は、医学やその歴史のうちで大きくわかれています。熱は抑えるべきもの、つまり有害で危ないものなのか?あるいは歓迎すべき、ないしは促進すべき有益なものなのか?はたまたそのどちらでもなく、無視してよいものなのか?民間医療だけではなく、医療従事者と医学の理論、そして実践においても、発熱についての理解や付き合い方についてのスタンスはバラバラです。
この混乱は、ひとつの大きな誤解からくるように思われます。

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患者がどのような種類の、あるいは質の医療を受けられるのか。 医師はどのような治療を提供できるのか。その選択肢と法的枠組みは、(近代国家では)主たる三つのプレーヤーの力関係によって決まります:①医療の法的枠組みを決める政府の機関、②できるだけ多くの国民が、経済的に医療にアクセスすることを可能にする健康保険、③薬や治療機器を製造する製薬会社と医療機器メーカー。患者はできるだけ早く、お金をかけずに病気から解放されたいものですが、この三つのプレーヤーはそれぞれ異なる利害を持っています。

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ハーネマンが病気の原因について語る。(その3)
間違った治療や薬害も、病気の原因になり得ます。医療がもたらす新たな不調と病気は、最近の言葉では「医原病」(iatrogenic disease)と呼ばれています。ハーネマンは、病気の原因について細かく説明している革新的な論文「経験の医術」のなかでは、これにあまり触れませんでした。が、その後1833年に出版された『医術のオルガノン』の第五版以後で、アロパシー医学の治療が患者にもたらす害について、非常にはっきりと、そして批判的に語っています。「従来のアロパシー医学は、投与している薬の長期的な、多くの場合恐るべき影響を自覚していません。そして、色々な作用物質を混ぜて同時に治療に使うことによって、その影響をわざわざわからなくしているようにも見えます。こういった強い薬を、多くの場合長期間、頻繁に、繰り返し、大量に投与することによって、従来のアロパシー医学は患者の身体を傷めつけます。

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ハーネマンが病気の原因について語る。その2
前回のブログで述べたように、ハーネマンは「Heilkunde der Erfahrung(経験の医術)」という論文において、病気になった人間の個別治療の必要性を強調する文脈で、病気の原因について説明しています。我々人間は、宇宙に存在するすべてのものと親和しつつ、また戦いつつ、深く繋がっており、それ故、人間の身体に影響を及ぼす、病気にする要因は数えられないほどたくさんある、というお話です。その抽象的な説明をよりわかりやすくするために、論文の3ページにも渡る長い注釈を使って、ハーネマンはその要因の具体例をいくつか書き出しています。この注釈を、下記に日本語へ訳出します。ドイツ語の原文は区切りなしで書かれていますが、読みやすくするため、適当に改行や段落を入れておきます。

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ハーネマンが病気の原因について語る。その 1
人間はどうして病気になるのか?哲学的には答えは簡単です。生きている人間は、孤立的な存在ではないからです。生きることはすなわち、あらゆる次元やレベルで、数えられないほどたくさんのものや人との相関関係において存在する、ということでしかありません。命でさえも頂きものです。人間はそうした無数の相関関係の中で、能動的に人や環境に良い影響を与えることもあれば、悪い影響を及ぼすこともあります。同時に、受動的なかたちで人や環境から良い影響を受けることもたくさんあれば、悪い影響を被ることもあります。その複雑な仕組みの中でそれなりにバランスを保ちながら、悪いことを減らし、良いことを増やすことで、本人も、周りのものや人も、健やかに伸びていくことができます。しかし、悪い影響が多すぎると、自分ないし自分の周りにいるものは害を受け、壊れる或いは病気になる可能性があります。生きることは、こういったかたちでのギブアンドテイクに根ざした営みであるがゆえに、人が病気になる可能性は避けられません。

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