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2022.07.30

人間はどうして病気になるのか?(1)

ハーネマンが病気の原因について語る。その 1

人間はどうして病気になるのか?哲学的には答えは簡単です。生きている人間は、孤立的な存在ではないからです。生きることはすなわち、あらゆる次元やレベルで、数えられないほどたくさんのものや人との相関関係において存在する、ということでしかありません。命でさえも頂きものです。

人間はそうした無数の相関関係の中で、能動的に人や環境に良い影響を与えることもあれば、悪い影響を及ぼすこともあります。同時に、受動的なかたちで人や環境から良い影響を受けることもたくさんあれば、悪い影響を被ることもあります。その複雑な仕組みの中でそれなりにバランスを保ちながら、悪いことを減らし、良いことを増やすことで、本人も、周りのものや人も、健やかに伸びていくことができます。しかし、悪い影響が多すぎると、自分ないし自分の周りにいるものは害を受け、壊れる或いは病気になる可能性があります。生きることは、こういったかたちでのギブアンドテイクに根ざした営みであるがゆえに、人が病気になる可能性は避けられません。

要するに、生きている身体は、「宇宙に存在するすべてのものと親和しつつ、また戦いつつ、深く繋がっています。」ホメオパシーの創立者であるハーネマンは、1805年に出版した「Heilkunde der Erfahrung」(経験の医術)という長い論文の中で、このような美しい表現で人間の存在を特徴づけました。この論文は、ハーネマンがホメオパシー医学を初めて総合的かつ体系的に紹介した文章です。5年後に出版され、ホメオパシーのバイブルとなる「オルガノン」の原典版とも言えます。(原文のPDF英訳のPDF)今ブログの全ての引用は、原文のPDFのページ2と3です。

当時ヨーロッパで一番有名な医学雑誌に掲載された「Heilkunde der Erfahrung」という論文の最初のページ
Journal der practischen Arzneykunde und Wundarzneykunft, hg. v. C. W. Hufeland, Berlin 1805, 22. Band 3. Stück, S. 5-99

人間は森羅万象との深い繋がりの中に生きているため、「少しでも作用力のあるものなら(その数は見当もつかない)、それがなんであれ我々生命体に影響を及ぼし、変化を誘発することができます。」「我々人間の体は、外的なものと内的なものからくる、数え切れない、そしてその大半はまだよく知られていない作用力から影響を受けます。」そしてこういった影響を及ぼすものは無数にあり、「それぞれが他と違うと同時に、それぞれが起こす変化も作用もさまざまです。」我々人間は、良い影響を及ぼすものに親しみながら、また悪い影響を及ぶすものと戦いながら、生きいていく上で必要な動的平衡を保ち続けています。その動的なバランスを大きく失った時に、人間は病気になります。

近代医学は、人間の体を物理学と化学の法則に従う、色々な作用、反応やプロセスが複雑にかからんでいる塊として捉えます。その上で、病気の理由を、一つ(ないし幾つか)のはっきりした原因との直線的な(物理学的・化学的な)因果関係で考えることが多いです。簡単な例をあげます。アルツハイマー病の原因を把握するため、近代医学はいろいろな仮説を研究しています。アミロイドβ(ベータ)カスケード仮説、オリゴマ仮説、タウタンパク質を主軸とする仮説、アセチルコリン仮説、感染症原因仮説、アルミニウム原因仮説、インスリン分解酵素仮説(ウィキペディア)。全ての仮説の共通点は、病気の原因をただ一つの化学物質に見出そうとする試みだということです。特定の有害物質を、病気を起こす原因として突き止めれば、そしてこの物質を(薬などによって)取り除けば病気が治る、というちょっと単純な考え方が、こういう「原因探し」の背後に働いています。ほとんどの製薬会社による薬の開発、そして近代医学における薬の使い方は、こうしたものの考え方に支配されています。

しかし、人間という生命は、短絡的な因果関係だけの中で生きていません。人生の終末期にアルツハイマー病になるのは、アミロイドβやアルミニウムの蓄積そのものだけが原因なのではありません。認知症も、アミロイドβやアルミニウムの蓄積も、長い人生の間にやってきたことや、その間に受けたいろいろな影響の一つの結果であり、その人の生き方全体の到達点です。どんな体で生まれてきたのか、子供の頃にどこでどういうふうに育ったのか、喜びの多いあるいは苦しみの多い人生を送ったのか、体に良いまたは悪い食生活だったのか、十分運動した生活、十分休息を取った生活、気持ちよく眠れる生活、睡眠薬に頼る生活、薬の多いまたは少ない生活だったのかどうか。人生の終末期にどんな病気にやられやすくなるのか、実は数えきれないほどたくさんの、大小の要因の複雑な重なり合いで決まってきます。病気を一つの、あるいはいくつかの少ない原因の因果関係で捉えるのは、短絡で単純すぎます。人間を科学作用の塊のようなものとして一面的に扱うと、そのような考えになりがちです。

このことは、人生の終末期の病気だけではなく、全ての病気に当てはまります。急性な感染病を見ましょう。病気を引き起こせる、ウイルスや細菌が移されても、症状が出る人もいれば、症状が(ほとんどもしくは全く)出ない人もいます。そしてどんな症状が出るのか、その強さ、辛さ、時間的経過などは、個人によって違います。同じ病原体に感染しても、個別具体的な発症に数えきれないほどたくさんのバリエーションがあるのは、「病原体」が病気の「原因」ではなく、病気になりうる一つの「きっかけ」でしかないことを意味しています。感染をきっかけに、病気になるかどうか、そして具体的にどんな病気になるのかは、たくさんの他の「原因」と関係しています。これまでの人生で獲得したあるいは失った免疫力、最近の体調や疲れの具合、前向きに生きているのか不安の中に生きているのか、ワクチンを受けたか受けていないのか、などなど。個人によって違う要因がたくさん絡んでいます。

「その作用と影響からくる変化が結果的にどれほど違うものになるのか理解するために、以下のことについて考えてください。力のある複数のものは、同時に我々の体へ作用し影響を及ぼします。その色々な影響の順番や強さは、その都度その都度違います。他方、その影響を受ける人間も一人ひとり違います。個人個人の体の出来具合がそもそもまるで違うし、また生きていく人生のあらゆる場面と状況において変わっていくので、どんな観点からしても人間同士全く同じ個人はいません。」

「全ての病気は、あまりにも違った様相で現れますので、その病気が複数の、その量と質と強さにおいてまるで異なった原因の重なり合いから発生すると言ってもいいです。」と、ハーネマンは上記の論文で書いています。

患者の病気を正しく診る、そしてきちんと治すために、医師ができるだけ病気になった人間の全て、その人の「全体性」を見るべきです。と同時に患者の個人的な特徴、その人とその病気の「個別性」を注視するべきです。ハーネマンはその個別性を明解に説明しています。

「全ての病気は、比較することも、数えることもできない、異種なものです。ひとつひとつの病気があまりにも他の病気と違うということはつまり、それぞれの病気が世の中にただ一回しか現れないものだと言ってもいいのです。この世で発生するすべての病気は、ひとつずつ個人的な病気として、今日、この人に、この状況の中で起こった病気として、そしてこれまで過去にも一度も出現しなかった、これから未来にもこの世の中で二度と現れない病気として認識され、そして治療されるべきなのです。」

「アルファベット24文字で組み合わせることのできる言葉の数は、どんな大きな数になっても、算出することができます。しかし、人間がなりうる様々な病気の数は、計算できるものではありません。なぜかといえば、我々人間の体は、外的なものと内的なものからくる、数え切れない、そしてその大半においてまだよく知られていない作用力の影響を受けるからです。」

「経験の医術」という論文の中のハーネマンの「病気論」は、一つ非常に面白いところがあります。ハーネマンが我々人間に、少しでも作用力のある、影響を及ぼす、変化を誘起させる、言い換えれば病気の原因になるものを非常に事細かに書き上げているというところです。その後のハーネマンの出版物においても、病気になる原因やきっかけに触れた箇所はたくさんありますが、これほど緻密なところは他に見つかりません。このリスト・アップを読むと、ホメオパシーを創立した医者としての知恵、先鋭性や人間味がよくわかります。次回のブログでは、この部分を日本語訳で紹介します。お楽しみに。

ちなみに、ホメオパシー治療が軸とする個別性については、以前にもちょっと違う文脈で細かく解説しました。(ブログブログ)