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戦いか共生か?生命の仕組みと免疫系について。
1958年、中国で毛沢東は「大躍進政策」の一環として「四害駆除運動」を宣言し、四害のひとつとしてスズメの駆除を命令しました。畑の穀物を食べるスズメがいなくなれば、食料の収穫が増えるという目論見です。果たしてスズメの駆除運動は成功しました。その具体的方法についてはウィキペディアの「四害駆除運動」を参照してください。スズメがいなくなった結果、(穀物と共に)その餌である害虫が激増しました。そして、天敵のいなくなった害虫によって農作物は以前より荒らされ、結果としてスズメの駆除は、1,500ー4,500万人の餓死者を出した中国の大飢饉に大きく貢献してしまったのです。毛沢東の政策はその後、「三分の天災、七分の人災」と批判され、毛沢東が一時的に力を失う原因になりました。
(現在のコロナウイルス撲滅運動とコロナウイルス封じ込め政策がもたらした結果は、後世に「何分の天災、何分の人災」として評価されるでしょうか?)
農業、鳥、虫などが極めて複雑な生態系を成していることをよく理解できる現在の私たちは、毛沢東の政策の愚かさを笑うかもしれません。しかし、今世界中で盛んな農産業や近代医療のあり方を見ると、私たちは毛沢東とは違うレベルや次元で、毛沢東のやり方と全く変わらないことをやり続けています。農耕も、人間の健康も、また全ての生命が、「自然」という複雑なエコシステムに根差しています。それは、何百万年の進化によって発達してきたたくさんの相互関係のなかで、微妙なバランスを保ち続けながら成り立っているものです。この極めて緻密で精妙にできた生命の生態の中で、我々近代的な人間は、かなり雑にそして単純に、鼻先知恵的な損得勘定で、収穫や健康の邪魔となる害虫や病原体を「悪いもの」と決めつけ、化学(農薬、薬)を武器にして徹底的に戦い、全滅させようとしているのです。
もし人間が「自然」と生命の仕組みを十分に理解できているのならば、その戦いは妥当かもしれませんが、実のところはそうではありません。近代医学にとっての免疫系は、生物海洋学にとっての深海のようなものです。海の表面層で何が起こっているのか、人間はある程度把握しています。そしてその表面層の生命や生態にとって、深海の存在が非常に大事で、不可欠だということもわかっています。しかし、深海自体について、またそこで起こっていることについてはほとんど知られていません。これと同様に、人間の免疫系の表面的な働きや機能はある程度解明されていますが、その深層と多様な繋がりは、私たちにとってまだ未知に近いのです。例えば、人間の体と共生し、人間の細胞数を上回る微生物から成るマイクロバイオーム(微生物叢)は、第二免疫系と呼ばれるほど、人間の免疫系に大きな役割を果たしていること自体はわかっています。しかし、その(個人によっても異なる)マイクロバイオーム自体についても、そしてその働きについても、まだほとんど知られていません。(PDF)免疫系と遺伝子の働きの相互関係についても、同様にわかっていません。個人の心や気分、精神面が免疫とどのように繋がっているのかについても、ほとんど研究がありません。「身体にはリンパ系、内分泌系、細網内皮系、神経系で精妙緻密に構成される完璧な防御システムが存在。さらに肉体の背後には多層的エネルギー構造体がある現代医学は、それを全く理解しないで、自己防御システムを妨害・抑圧・撹乱・破壊する短絡的な対策ばかり採用する。人の免疫系は緻密で精妙、人智を超えた完璧な仕組みで科学では解明出来ていない。」(森井啓二、ツイート、ツイート)
近代科学を基盤とする近代医学と、その医学の考え方しか知らない多くの現代人は、免疫系を主に防衛的なシステムと捉えています。個々の生命体は独立した存在として、いわば一種のお城か島のようなモデルで理解されています。その内側は、もともとは健康できれいな状態であり、この平和と健康を脅かそうとする、汚くて危ない悪者の外からの攻撃に対して、免疫系が自衛隊のような役割を果たし、体をきれいに保ち、健康を守るという考え方です。鬼は外、福は内。現代人はまるで当然のことのように、免疫系を独立した生物の所有物のようにみなします。その機能を対立的に捉え、内側の良いものと外から来る悪いものとの戦いに例えるのです。新型コロナウイルスのパンデミックに際して採用された対策のほとんど(ソーシャル・ディスタンシング、マスク着用、外出自粛、ロックダウン、不安を煽る報道など)は、この中と外の対立、善と悪の戦いという考え方を基盤に、防衛としての免疫系という理解に基づいています。
長い間常識的に正しいとされてきたことが必ずしもそうではないこと、人間の探究心による新たな発見によって、これまでの「正しい」が大きくひっくり返ることは、あのコペルニクス的転回以来、我々自身がよく知っているはずです。まだ大きな話題にはなっていませんが、生命の仕組みを探求する先端生物学の分野では、近年「静かな革命」が起こりました。生態発生生物学の教科書の前書きで、その先駆者、スコット・ギルバート(Scott Gilbert)が以下のように書いています。
「生態学、分子生物学、細胞生物学や発生生物学の新しい技術に牽引されて、生物学に静かな革命が起こりました。その革命によって、21世紀の生物学と20世紀のそれは全く違う科学になりました。この革命は、我々が期待したのとは違う革命になりました。この新しい技術は、私たちがすでに知っていることを確認し、その知識を深めるというよりもむしろ、遺伝、発生、進化の新たな層を明るみにしたのです。このことは私たちに新たな謙虚さを与えてくれました。私たちが知らないことはいっぱいありますし、発生、遺伝、生理、病気、進化の仕組みについての我々の仮説の多くは、問い直されなければならないのです。こうした思いがけない挑戦から、生態発生生物学が生まれました。環境と発生する生物とが、どのように相互作用して新しい表現型を生み出すのか。また、この相互作用が病気や進化にどのように影響するのかを理解しようとする科学です。進化論、細胞論、遺伝子論と同様に、生命に対するわれわれの考え方を大きく変える可能性のある科学です。」(Scott Gilbert, David Epel ー Ecological Developmental Biology. The Environmental Regulation of Development, Health and Evolution, 2nd Edition 2015、生態発生生物学:発生、健康と進化の環境的調整)
植物、動物、人間など、あらゆる生命体を目で見たとき、その生命体はまず独立した「もの」、個体に見えます。これまでの生物学も、独立している個体という枠組みを前提にして生命の根拠を探してきました。生態発生生物学が明らかにしつつあるのは、そもそも生物を個体と見なすこと自体が大いに間違っている、ということです。命の仕組み、その発生、進化と存続は、最適者生存の存続、繁殖する細胞、利己的遺伝子などによるものではなく、生命の仕組みの根拠に、たくさんの生物の共生、相互的相利共生にあるというのです。「共生(シンビオシス)というのは、地球上の生命の特徴である。」(Symbiosis is the signature of life on earth.)「身体の生存は共生生物に依存し、複数種のコンソーシアムとして」生きています。(PDF, p.6-8)「生物は、解剖学的、生理学的、発生学的、遺伝学的、免疫学的に、多原子・多種の複合体です。」(PDF, p.205)
生態発生生物学は、その相互的相利共生集団をホロビオント(Holobiont)とよびます。ホロビオントは、宿主、(体内と体外の)ウイルスとマイクロバイオーム、そしてその全体の機能や生命に何らかの形で貢献する、その他の生物の全体を包括的に指すものです。ホロビオントは生命の基本的なかたちであり、有り様です。
私たちはこれまで生物を個体として見ることに慣れすぎているので、ホロビオントを想像するのは難しいところがあります。そこで、生物学者の福岡伸一のウェブサイトのトップページにあるイメージを見てください。福岡さんは人間の生命を、人間と環境とその周りにいるあらゆるものと(微)生物との「動的平衡」に見出しています。
人間は「個体」として生きているのではなく、共生するホロビオントに基づいて生きています。そのため、私たちの健康、病気、免疫系について考えるとき、独立した個体や個人とういう枠組みにおいて理解するのでは不十分です。人間の健康は、個体としての体の健康ではなく、人間のホロビオントの健康として考え、また守らなければなりません。
ホロビオントの一部として、我々の内と外に生きるたくさんの細菌、ウイルス、寄生虫は、人間の免疫の進化、発達、成長、成熟、そして健全で正しい機能に不可欠なものです。免疫系自体が個体の所有物ではなく、ホロビオントという生命の共生集団に基づき、その共生のうちで作用するたくさんの相互関係に依存しているシステムです。免疫システムは、「自己」(生物)を純粋かつ健康に保つために、汚くて危ない「他者」(微生物)に対して配置された防衛軍というよりも、むしろ自己と他者を成すホロビオント全体の共生と健全なバランスを上手に治めるマネージャーです。人間の健康は、個人が持つ免疫的軍隊よりも、個人のホロビオント全体を成すたくさんのプレイヤー(生物、環境の様子)の間の相互関係や相互作用のバランスを維持するプロセスによって保たれるものです。
ウイルスや細菌を、単に寄生する敵や病原体として捉える見方は、偏狭であり単純化しすぎています。人間の健康を守るために、「公衆衛生は、この地球上の生命を、生物学が現在捉えているように、協力的な相互作用と拮抗的な相互作用が豊かに混在する、我々の身体とその無数の微生物のパートナーとのダイナミックな関係として捉えなければならないのです。」「健康とは、微生物と宿主との交渉である。」(PDF, p.13, p.12)微生物は戦うべき寄生する敵や病原体であるだけではなく、微生物自体が、人間の発生、進化や存続のために必要なパートナーであることを認めるべきです。
面白いことに、生物学によるホロビオントの発見とは関係なしに、近年の医学も、人間の免疫の成長、成熟やサポートのためには、微生物や病原体が欠かせないということ、重要な役割を果たしていることを認めつつあります。
昔にブログに詳しく説述したように、微生物や病原体との接触の多い畜産農家で育った子供は、清潔な都市環境で育った子供より免疫疾患が少ない。そして帝王切開で生まれた子供は、自然分娩によってお母さんの「汚い」ところに触れながら生まれてきた子供より、アトピーや花粉症が多いです。子供の頃、予防接種がなかった時代にはありふれていた子供の病気にかかれば、大人や老人になったときに癌になる可能性が少なくなる。(PDF)子供の頃、麻疹とおたふく風邪にかかった人は、動脈硬化性の心血管疾患による死亡リスクがより低い。(PDF)子供の頃の感染病によってホジキンリンパ腫のリスクが低下する。(PDF)人生の早い段階(1年目)での微生物への曝露は、急性リンパ性白血病に対する保護的な役割を果たす。(PDF、PDF)子供頃のおたふくかぜは、卵巣癌に対する免疫につながる(PDF)。水疱瘡(水痘)になった人は、なっていない人と比べれば、神経膠腫になる確率が低い。(PDF)
若い頃だけではなく、大人になっても、病原体との頻繁な接触が免疫力や健康にとって有益なようです。50年間にわたるイギリスの人口のデータを分析したところ、子供を育てた親は、子供がいない大人と比べて、病気(感染病、ガン、心臓病など)によって、人生がより早く終わってしまうリスクが著しく低いことが明らかになりました。イギリスのヨーク大学の研究者たちがこのデータを、子供によって親の免疫が上がるという(parental coimmunization)仮説を裏付ける証拠とみなしています。親という立場でなくても、子供の教育に携わる人(保母、学校の先生など)の場合も一緒です。というのは、よく感染病にかかる小さな子供と長い時間を過ごす大人は(自分が病気にならなくても)、子供が持っている病原体との自然で頻繁な接触によって、免疫力がリフレッシュされ、より健康的な長生きに繋がります。(PDF, PDF)
生物学で起こっている静かな革命は、我々の生き方、そして医学や医療にたくさんの問いをもたらします。特に、この2年間のコロナ禍の中で一般社会生活に広がった、微生物やウイルスに対する度を越えた恐怖は果たして健全なのか?病原になりうる微生物をただ「汚い」「危ない」「避けるべき」「消毒すべき」ものとして捉えるのが、果たして生命の摂理や仕組みにとって相応しい姿勢なのか?生命の複雑で緻密で精妙な仕組みがほとんど解明されていない段階で、一方的に特定の気管支系ウイルスを簡単に「悪者」とし、全滅させようとする試みは、長い目で見た場合、(毛沢東対スズメのように)その生命の仕組み(ホロビオント)に害をもたらす可能性があるのではないか?健康と病気は戦いの関係なのか?それとも「病気も健康の内」とも言えるような相互的な関係なのか?生態発生生物学の進展によって、これまでの病気や健康についての常識が深く問い直されることになるでしょう。
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