Blog

2023.04.07

Aude sapere  ー オルガノンの題字について(2)

ハーネマンと同時代の哲学者、イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724 - 1804)の(もしかしたら一番)有名な論文の中にも、肝心なところで「Sapere aude」というアピールが出てきます。

ハーネマン本人はおそらく、カントのこの論文を暗に示すため、「Aude sapere」という題辞をオルガノンに付したと思われます。同時代の読者だけではなく、ヨーロッパの思想史を少しでも知っている人なら、「aude sapere」という言葉を聞けばすぐカントの名作「啓蒙とは何か、という問いへの答え」(Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung, 1784)が浮かびます。

「啓蒙」という言葉は、フランス語の「lumières」ドイツ語の「Aufklärung」、英語の「enlightenment」の訳語で、日本語としてさほど一般に馴染みのある言葉ではないので、その意味もう少し見てみましょう。【蒙】は道理に暗いこと、覆い隠すこと、愚かなこと、無知なことを言います。【啓】は教え導くと開くこと、開放することを言います(例えば:啓発、啓示など)。啓蒙は蒙を啓く(ひらく)ことを言います。元々のヨーロッパの言葉も皆、光ないし光によって明るく、明らかにすることを言います(lumière, klar, light)。

簡単に言うと啓蒙とは、暗いところからより明るいところへと、知らない人を教え導くという意味です。

前回のブログで紹介した、ホラーティウスの手紙も、人生における肝心なことを見失った友人をより良い生き方を教え導こうとするという意味において、啓蒙的なスタンスを持っています。

治療における患者と医者の関係にも、かなり強く啓蒙的な側面があります。医者が患者に病気の背景にあるものを説明しながら、病気が治りやすい、そして二度と戻ってこない生き方を教え、そこへと導くことが、良心的な医者に欠かせない務めの一つです。そうすれば、患者は自分の病気の治療と健康の維持に、自主的に、また積極的に取り組むようになります。前回のブログで触れた、ハーネマンの「ある患者への手紙」は、この啓蒙的スタンスを見事に語っています。

学校の教育も(受験勉強レベルで終わらずに)学生をより良い生活や人生へ教え導くつもりで行われるなら、啓蒙的であるはずです。

さて、カント(とハーネマン)にとって、啓蒙と何か?カントは以下のように答えます。

「啓蒙とは、人間が自ら招いた未成年状態から脱出することです。未成年状態とは、他人の指導なしに自分の頭を使えない状態です。その原因が頭の悪さ(知能不足)によるものではなく、他人の指導なしに自分の頭を使う決意と勇気の不足によるものなら、自ら招いた未成年状態です。

Sapere aude! 自分の頭を使う勇気を持ちなさい!これは啓蒙の標語です。なぜ、多くの人々が自然と成年になって、それでそもそも他者の指導から放免されていても、一生喜んで未成年のままでいたいのか、そして他者が彼らの後見人の立場をいとも簡単に占めるのか、その原因は怠惰と臆病なのです。

未成年でいることは気楽です。私の代わりに私のために考えてくれる本、私の代わりに私のために良心を持ってくれる牧師、私の代わりに私のために食生活を判断してくれる医者など、これらがあれば、私は自分で苦労する必要がありません。お金が払える限りでは、自分で考える必要はありません。面倒なことは他の人がもうやってくれるのです。」

未成年には法的な自立性がないため、親ないし後見人の監督と指導の下で生きるほかありません。カントが問題にしているのは、多くの人間が、年齢的にも、能力的にも、大人として自主的、自律的生きることができるはずなのに、「決意や勇気の欠如」で、また「怠惰と臆病」の所為で、未成年のように、彼らを監督し支配している人たちの指導のもとで生き続けているということです。

ホラーティウスとカント(そしてハーネマン)の「Sapere aude」は、人間の「怠惰と臆病」を乗り越える為の呼びかけですが、そのニュアンスや狙いは違います。ホラーティウスは「だらだらしないで、すぐあなたの生き方を変え始めなさい」というスタンスを強調します。カントの「Sapere aude」は「自由になって、自分の頭を使いはじめなさい」または「自立して、自分の足で歩けるようになりなさい」という意味が強いです。

18世紀に全盛を迎えた啓蒙思想は、旧来の宗教・政治などあらゆる伝統的な権威、その支配体制や考え方を徹底的に批判し、またより自然の道理に基づいた合理的・理性的・科学的な考え方を通じて人間を啓発的に教育することで、社会状況や個人の生き方の進歩や改善を図ろうとしました。カントの Sapere aude はその象徴的な表現です。ハーネマンのホメオパシーの原理の発見とその探究の根底にも、旧来の医学体制を批判しながら、また医学協会のエスタブリッシュメントに強く反発しながら、新しく、人間にとってより有益な治療法を築くという、極めて啓蒙的な精神が働いています。

「医師たちは私の兄弟であり、彼らの人格を批判するつもりはありません。私が問題にしたいのは、医学自体です。これまでの医術は、そのすべての部分において、自己欺瞞と独断によって、ただ架空に考え出されたものなのか、それとも自然から取り出したものなのか、検証するべきです。

もしそれが、空想的な推論、恣意的な原則、伝えられてきた慣習と多義的な現象から勝手に引き出された独断的な推測から造られたものでしかないなら、その医術は何もないものであり、これからも何もないものとしてあり続ける。たとえ、その伝統が何千年も続いたものであり、この世の全ての王さまたちと皇帝さまたちの認可証で飾られたとしても。」(オルガノン第二版、前書き)

ハーネマンの分析は厳しいです。これまでの医学は単なる「推測と仮説の学術」でしかありません。(オルガノン第一版、前書き)「自然と経験に基づく医術は今までありませんでした。これまでの医学の全ては、経験に反した創作であり、蓋然性をまとった作り話でした。」(オルガノン第二版、前書き)

自分の頭を使う勇気を持ちなさい。どんな権威も認めず、当たり前と思われるようになったしきたりや常識にも頼らず、自由な姿勢で、ハーネマンは自然と経験に基づく医学を開拓します。Aude sapere はハーネマン的なホメオパシーの原動力です。時代を越えて、我々の心に突き刺さる、呼びかけとして、ハーネマンはこの言葉をオルガノンの標語に選びました。

「医術のオルガノン」第二版(1810年)の表紙

「医術のオルガノン」第二版(1810年)の表紙