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新型コロナウイルスの伝播経路について
コロナ展望録。その9
新型コロナウイルスが発見されてから一年以上が経ちました。この新しいウイルスは世界中で広がり、他のたくさんの呼吸器系ウイルスと同様に、人類と共にある存在として自らを確立し、それなりに落ち着きました。その一方でまだ落ち着いていないのは、この新しいウイルスに対する人々の不安と、その不安に振り回される生活です。新型コロナウイルスに関するマスメディアの報道は、相変わらず誇張と偏向に満ちており、このことは去年の春と大して変わったところが見受けられません。世界中の政治家たちはウイルスを封じ込めようと躍起になって、不器用で残念な政治的判断を繰り返し、そのご都合主義的な政策によって、人々の気持ちと生活は翻弄されっぱなしです。
コロナ禍が始まった頃から強く叫ばれてきたのが、新型コロナウイルスは、これまで人類と共に存在してきたウイルスと違って、感染力が著しく高く、それゆえ特に危険なウイルスと言えるのではないか、という懸念でした。日本でそうした不安や恐怖を非常に強く印象づけた例のひとつとして、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥が、自ら立ち上げた新型コロナウイルス情報発信ウェブサイトで2020年3月26日に公開した「所長便り」があげられます。
「桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません」という見出しで、山中は以下のように書いています。
「新型コロナウイルスはすぐそこにいるかもしれません。感染すると、自分は症状が出なくても、周囲に広がって、リスクの高い方には生命の脅威となります。 …….. 新型コロナウイルスはすぐそこにいるかもしれないと自覚することが大切です。桜は来年も必ず帰ってきます。もし人の命が奪われたら、二度と帰ってきません。」
確かに、ウイルスのような我々の想像力をはるかに上回る小さなものは、どこにでもいる可能性があります。「すぐそこにいるかもしれません」という表現は間違いではありません。とはいえその言い方は、ウイルスという存在の論理的な可能性しか指摘していません。我々の日常生活の中でより重要なのは、理屈としての抽象的な可能性よりも、この現実の世界でウイルスがどこでどのように広がるのか、実際にどういう風に移るのかという具体的な話なのです。
この所長便りを初めて読んだときに、全く違う文脈のセリフが頭に浮かびました。「人間なら、死はどこでもいつでも訪れることができます。もしかしたら明日、いや今すぐここで死んでしまうかもしれないのです。」自己啓発セミナーや宗教の説法の中で、人生の無常を訴えるこうした台詞がよく聞かれます。今日、今、思い残さないように、後悔がないように、一生懸命生きなさいと自覚を促す励ましとして使われることが多いです。確かに人間にとって、今すぐここでいつでも死ぬ可能性があるのは事実です。そして想い残さないように生きるのもいいことです。それでもほとんどの人は、こういうことを意識せずに日々の生活を送っています。なぜかと言えば、現実的には、あるいは我々の実際の体験からすれば、若いうちに死ぬ人は非常に少なく、60歳、70歳、80歳になって初めて、死ぬことを自分のリアリティとして自覚し始める人がほとんどだからです。
ちなみに、「いつでも死ぬ可能性がある」ことを深く自覚した(悟った)人は、来年の桜を待っていません。今日か明日、すぐ花見に行きます。
正しく理解された無常感を生き方の軸とする人もいれば、ウイルスや病気に対する恐怖を生き方の中心にする人もいます。新型コロナウイルスについてどのように思うか、その現実をどういう風に受け入れるのかは、実は科学的なデータの問題ではなく、個人個人の心境や価値観に帰すものなのです。
さて、新型コロナウイルスの日常生活における実際の感染経路とは、どのようなものでしょうか。
まずはものを媒介する接触感染について見ていきましょう。米国疫病予防管理センター(CDC、Centers for Disease Control and Prevention)は 2021年4月にアップデートした報告で、公共空間の室内における、物の表面を媒介した接触感染の確率について以下のように明言しています。「SARS-CoV-2の接触感染リスクは低く、一般的に10,000分の1以下である。これは、汚染された表面に接触するたびに感染が起こる可能性が10,000分の1以下であることを意味する。」
ドアの取っ手、スイッチ、買い物カゴなどのものの表面に触ってウイルスに感染するためには、以下のような条件が必要となります。すなわち、「病気の人がある表面に向かって咳やくしゃみを直接し、排出された水滴や痰がついている表面に他の人が手で触った後、比較的早いうちに同じ手で、口、鼻、目に直接に触れる」ことです。つまり、咳やくしゃみのような症状のある病気の人でも、外へ出かけなければ、或いは出かけるときにマスクをつければ、ものの表面を媒介した接触感染をおこす可能性はありません。またこの報告によれば、屋内外を問わず、公共の場で/コミュニティ環境で、机や手すりなどの表面を消毒剤で定期的に消毒することで、感染を防止できる科学的なエビデンスはあまりありません。結論:「接触感染は新型コロナウイルスの主な感染経路ではなく、リスクは低いと考えられる」。(PDF1、ウェブサイト、PDF2)
空気や呼吸を通じての感染はどうでしょうか?「新型コロナウイルスと空気感染の可能性」についてCDCが去年の10月に発表した別の報告を見みましょう。(PDF)
ウイルスが人から人へ伝播するには、かなりの量の生きたウイルスを含む、病気の人が咳やくしゃみで排出した唾や痰の飛沫が、鼻、口、目に入る必要があります。それによって感染する(=病気になる)かどうかは、自分の免疫系の調子によります。呼吸器系ウイルスの場合、主に三つの伝播の経路が考えられます。
接触伝播:
病人との直接的な接触です。握手、キスなどの体の接触によって、唾や痰に含まれるウイルスが自分の手、顔などに着いてついてきて、それが自分の身動きによって、鼻、口、目に入ります。
飛沫伝播:
くしゃみや咳や激しい息づかいによって口と鼻から排出された、ウイルスが含まれている痰、鼻水、唾の飛沫によるものです。この後で説明するエアロゾルと違って、この飛沫はそれなり大きくて重たいです。長く空気に漂うことはできず、早く地面に落ちますので、病人のすぐ近くにいない限り、飛沫伝播はあまり起こりません。飛沫感染は濃厚接触(密接)を必要とします。
空気伝播、エアロゾル伝播:
人間が呼吸器から出す、飛沫よりうんと細かい微粒子をエアロゾルと呼びます。エアロゾルは飛沫と違って、何時間も長く空気に漂うことができ、空気の中で遠い所まで広がります。(霧、煙、PM 2.5、お香など)エアロゾルを通じて非常に効率良く広がって伝播する細菌はたくさんあります。その有名な例が結核菌、麻疹ウイルス、水痘・帯状疱疹ウイルスです。しかしエアロゾルという伝播経路は新型コロナウイルスに向いていません。CDC の報告書を引用します。
「新型コロナウイルスの疫学によれば、ほとんどの感染は空気感染ではなく、身近な人との接触によって広がることがわかっている。」
「これまで得られたデータによれば、新型コロナウイルスは他の一般的な呼吸器系ウイルスと同様に、主に近距離での呼吸器飛沫伝播によって広がる。」
「遠く離れた人や、感染性のある人が滞在した数時間後にその空間に入ってきた人に対して、感染になりうる拡散 ….. があるというエビデンスはない。」
つまり、新型コロナウイルスにおいて空気感染は例外的なもので、幾つかの特別な状況下でしか起こり得ません(例えば、相当混み合っている、密封された空間の中)。空気感染で広がらないということは、室外で感染する可能性は、理論的にはあったとしても、実際はゼロに近いのです。(PDF、ウエブサイト)
病気の人との直接の身体的接触、あるいはウイルスを含んだ飛沫が人から人へ直接届くことが、新型コロナウイルスの伝播の主な経路です。ここで忘れてはいけない大事なことがあります。伝播と感染は同じことではありません。上記の経路で、ウイルスが鼻や口に入ったからといって、必ず病気になるわけではありません。ウイルスが伝播したとして、病気になるかどうかは、身体に取り込んだウイルスの量と自分の免疫系の調子のせめぎあいによって決まります。
免疫の防御を突き破ることの可能なそれなりの量のウイルスでないと、また免疫力が忽ちにやっつけることができないような量でないと、感染は起こりません。それ故に、免疫力がかなり弱っている人が、かなりたくさんの量のウイルスを取り込んだ時に初めて、病気になる現実的な可能性が出てきます。このふたつの条件が同時に満たされるケースはそんなに多くないです。ウイルスと接触があっただけでは、またウイルスが多少体内に入っただけでは、ほとんどの人は病気になりません。そんなわけで、新型コロナウイルスは、インフルエンザウイルス、ライノウイルスなどと同様に、弱毒性の呼吸器系ウイルスと見なされます。生物学的および公衆衛生学的な観点からみた、こうしたウイルスたちの自然の摂理については、京都大学名誉教授の川村孝が要約しています。 (PDF)
弱毒性の呼吸器系ウイルスは、伝播されても、移っても無症候のままや軽症の人が多いので、その蔓延は防止できません。蔓延を少し遅らせるために(免疫力向上以外に)一番効率的な手段の鍵は、病気の人が握っています。症状のある人、咳やくしゃみで大量の飛沫を出す可能性のある人は(ホメオパシーの手当をうけながら)、家でゆっくり病気を治すことです。そして病気にもかかわらず出かけなければならない場合、飛沫を減らすためにマスクをつけることです。
そのため日本の厚生労働省は、パンデミックの早い時期から、咳やくしゃみをする際に飛沫を飛ばさないようにと呼びかけて、マスクを咳のエチケットとして積極的に勧めています。同省が制作した、全国配布用のわかりやすい啓発ポスターがあります。(PDF)
ご承知のように、契約書などの重要書類では、多くの場合一番大事なことは文書の終わりに細かい字で書かれていて、その細かい文字で書かれた条件を一番真剣に読まなければなりません。このポスターもその良い例です。左下に、「マスクについて」という小さな文字の説明文があります。パンデミックの早期より、マスクは「コロナウイルスに対する戦争」の象徴的な旗印になりました。これにより、マスクの意味についての社会的政治的な見解と、免疫的医学的な見解との間には、かなり大きな隔たりができてしまいました。ちょっとわかりにくく書かれた文書ですので、その隔たりを十分に気にしながら、注意深く、ゆっくり読みましょう。
「マスクの表面は、汚れていると考え、触らないようにしましょう。また触ってしまった場合には手洗いをしましょう。感染している人からの飛沫を防ぐ効果は期待できないので、過信しないようにしてください。マスクは、症状等ある方が発する飛沫によって他人に感染させないために有効です。一方で、他人からの飛沫を防ぐ予防効果は相当混み合っていない限り、あまり認められていません。」
まず厚生労働省が注意喚起するのは、衛生の立場からするとマスクは問題があるということです。その次に明言しているのは、マスクには他人から飛んでくる飛沫を防ぐ予防的な効果がないということです。その発言を強調するために、最後にもう一回繰り返し同じことを説明しています。相当(!)混み合っている空間を除いて、マスクに予防的な効果はあまり認められていません。けれども、咳、くしゃみや他の症状を示す病人の場合、マスクは他人を守るためには効果があります。症状等がある人の咳などによる飛沫の伝播を防ぎますので、他人にウイルスを感染させないためには有効です。
マスクの意味と有効性についての厚労省の考え方の背景には、上記で紹介した、CDCが発表した新型コロナウイルスの主な伝播経路と同じ見解があります。弱毒性呼吸器系ウイルスは主に症状のある人から発せられる飛沫によって広がり、その飛沫を抑えるため、マスクに意味がある、という考え方です。
WHOも去年の6月に、その立場を踏襲しています。「現在のところのエビデンスによれば、伝播のほとんどは、症状のある人から他の人との密接な接触を通じて起こると示されています。そのため、WHOが推奨する個人的な防護策(マスクの使用や物理的な距離の取り方など)のほとんどは、初期段階での発見が難しい症状の軽い患者を含め、症状のある人からの伝播をコントロールすることを目的にしています。」(PDF、ウェブサイト)
このエビデンスはこれまでの弱毒性呼吸器系ウイルスの主な伝播経路の、医学的・疫学的なデータや見解と一致するものです。(MP4)
こうした見解がある一方で、無症状の人からの感染を問題視する人もいます。無症状の感染者が他の人を感染させることがありうるかどうかについては、パンデミックが始まって以来の長い論争があります。もちろん理論的には可能です。実際、稀なケースとして起こり得ますが、新型のコロナウイルスの広がり方としては主な方法ではありません。(PDF1、PDF2、PDF3)
なぜかといえば、ウイルスが体内でかなり増えてから、初めて症状が出るからです。逆に言えば、症状を示さない感染者は、体内にあるウイルスが症状が出ない程度に少ない、ないしは速やかに免疫系にやっつけられているため、そもそもたくさんのウイルスを人に移すことができません。また、症状のない人は咳もくしゃみも出ないので、他の人を感染させる量の飛沫も出しません。日本でのクラスター感染の分析で得たデータを見ても、症状のある感染者と比べて、無症状の感染者の感染力は何倍も低いのです。(PDF)
多くの人の日常的な行動、そして国レベルの蔓延防止策を見ますと、まだ大多数の人々が、コロナウイルスが「すぐそこにいるかもしれない」という恐怖の中で生きているのがわかります。今回のブログで、新型コロナウイルスの伝播経路について詳細に述べた動機は、ウイルスを常に恐れるような過剰な恐怖を、そして強い不安を抱えて生きる人を、現実に基づいた冷静な見方へ導きたいというところにあります。(新型コロナウイルスを含む)あらゆる病気に対する最も心強い味方は、もともと私たちに与えられている免疫力や自然治癒力です。逆に、その免疫を大きく下げるのは不安と恐怖です。私たちが生まれてくるのは、恐怖で怯えたり、不安を抱くためではなく、この世にあるものを味わい、生きることを楽しむためです。ウイルスも人間も、私もあなたも、自然の一部として、深い相互関係で生きています。その自然は『「恐れる」ものでも,「怖れる」ものでもなく,敬意をもって「畏れる」べき』ものです。(福岡伸一、PDF)
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