Blog

2024.12.19

ホメオパシーは「皮膚疾患」をどう考えるのか?


皮膚疾患とその治療について、アロパシー医療とホメオパシー医療のスタンスは大いに違います。皮膚科の医師が最も高い頻度で処方するのが、皮膚に塗る軟骨です。特に1950年代から普及したステロイド軟膏は、肌の炎症、痒み、爛れなどを早く抑える「奇跡の武器」として人気があります。

ホメオパシーの医師は、軟膏の処方を嫌います。なぜかというと、皮膚の問題である以上に、心や体全体が抱えているアンバランスな状態の現れとして、皮膚疾患を理解しているからです。そのための適切で根本的な治療は、外的で局所的な軟膏使用よりも、患者全体を見て、できるだけ早く、そして優しく、もとの元気を取り戻すことです。具体的な治療の進め方は個々の患者によって違いますが、レメディーの処方と(必要な場合は)生活改善が二つの主な柱です。

皮膚疾患についてのホメオパシーの考え方は、前回のブログで紹介した James C. Burnett が書いた皮膚疾患についての本の前書きに、見事に表現されています。以下にその前書きを翻訳して紹介します。

J. Compton Burnett, Diseases of the Skin. From the Organismic Standpoint, London 1886
(生体的全身的の立場から見た皮膚疾患)


初版への序文

以下のページでは、主として臨床的な立場から、皮膚疾患を体質的に考察します。現在、あらゆる流派の、そして世界中のほぼすべての医学者が行なっているように、皮膚疾患を皮膚に限った単なる局所的な問題として扱うことは、私の意見では、人類に対する犯罪に他ありませんし、また今日の医療体系が育んでいる浅薄さを如実に表しています。

「スコープやミータの時代」に、医療専門職の思考はほとんど死んだも同然です。打診や聴診が果てしなく行われます:かすかな雑音、音、チリンチリン鳴る音、ラ音、心臓の雑音などはよく知られており、また学術的に議論されていますが、しかし治療そのものについて考えられているでしょうか?肺結核のプロセス自体の、真の病因についてはどうでしょうか?細菌が原因?そうです。しかし細菌的生命が(肺の中で)可能になる前に、肺に何が起こっていたのでしょうか?そして、細菌にとって肺が適切な土壌でないならば、細菌はどのようにして増殖できるのでしょうか?

[「スコープやミータの時代」という言い方は、19世紀後半の医療において診察器具や測定器具が普及したことを受けたものです。例えば、stethoscope 聴診器、mikroscope 顕微鏡、thermometer 体温計、sphygmomanometer 血圧計、dynamometer 動力計。]

純粋に局所的な性質を持つ皮膚病が全くないとは言いません。よくあるシラミ症や、皮膚を侵すその他の寄生虫による不潔な汚染疾患などは、確かに存在します。しかし、一般論として私は以下のことを主張します:

1. 皮膚は、体の非常に重要な生きている臓器である。

2. 皮膚は、十分に理解されていないものの、あらゆる体内の臓器や部分と密接な関係を持つ。

3. 皮膚の健康状態は、生体の全体的な健康状態によって決まる。つまり、不健康な体に健康な皮膚というのは考えられない。

4. 一般的には、皮膚の不健康な状態、つまり皮膚疾患は内部から生じる。これは、時として最初に外部からの刺激によって発症した場合でさえもそうである。

5. 皮膚は生物学的に生体の内にあり、内部から栄養を受け取り、内部から生命を得、内部から健康を得、また内部から疾患がもたらされるため、医学的にも内部からレメディーで治療されなければならない。

6. 皮膚疾患は多くの場合、単に器官的なものではなく、同時に生体的全身的または体質的なものである。

7. 皮膚は排泄器官であり、そして生体全体に広がっているため、自然は内部器官を疾患から守るためにしばしば皮膚を利用する。

8. 皮膚の各部分は、何らかの内部器官や部位と密接に対応しているため、皮膚疾患はしばしば内部の疾患の外的な表現に過ぎない。

9. 要するに、一般的に受け入れられている皮膚疾患の外用治療(ローション、軟膏、その他何であれ)は、明らかに浅はかな考えであり、理論的に誤っており、実践として有害であり、したがって勧められない。

上記の要点は、皮膚疾患についての私の見解を体現しています。これらは私の診療の指針となっています。皮膚科医に反論を求めたいところですが、この見解は絶対に反駁不可能だと考えています。

体の病気が、いわば水が泉から湧き立つように皮膚に現れるのであれば、この皮膚(の中)の病気を洗浄や軟膏、あるいはその他の外用薬で治療することは、実際に病的状態の治療には全くなりません。ただその末梢的な発現を抑制しているに過ぎません。

皮膚は、あたかも私たちの外側に吊るされているかのような、独立した生命を持っているわけではありません。むしろ、全ての器官の中で最も全身的なものです。しかし、石鹸で美しく健康な肌が得られ、歯磨き粉で丈夫な歯が得られると人々が考えている時代に、何を期待できるでしょうか。

木の樹皮は皮膚と非常によく似ています。ある日、私が庭師に、あるリンゴの木の樹皮がなぜこんなにこぶだらけで、でこぼこしていて、不健康そうに見えるのかと尋ねたところ、彼は「先生、根が粘土層まで伸びてしまったからですよ」と答えました。

人の皮膚が病気になる時も同じだと私は考えています。「根が粘土層まで伸びてしまったのです。」

J. Compton Burnett, London September 1886


バーネットのオリジナルの本を探す時に、初版と第二版のタイトルが少し違いますが、前書きは両版に共通しており同じです。第二版以降の本のタイトルは以下の通りです:Diseases of the Skin: Their Constitutional Nature and Cure, 1893(皮膚疾患:その体質的性質と治療法)