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2015.03.21

コレステロール神話の誕生と崩壊

福島第一原子力発電所の事故をきっかけに、日本人の「現代の神話」に対する意識は、随分と敏感になりました。原子力のメリットとデメリットについて、他国では盛んな討論が行われましたが、日本では、問題を指摘する研究者や技術者がいながらも、莫大なお金を動かす「原子力村」が原発の色々な問題点(放射能の危険性、使用済み核燃料の保管、原発の経済性など)について、ディスカッションが国内に広がらないように動きました。その結果、「原発は安全で経済的だから、特に問題にしなくて良い」と言う神話(メルヘン、または嘘といっても良い)が多くの日本人の意識に刷り込まれてしまいました。

電力業界と同じく、莫大なお金が動いている医療の世界にも、この類の神話はたくさんありますが、多くの場合、医療に於ける神話の有効期限は、原子力神話と同様に、欧米より日本の方がうんと長いようです。ヨーロッパやアメリカで、長らく(ときに何十年間も)医療関係者の間で常識とされていた神話が経験や新しい研究によって崩壊しつつあっても、日本の医療では、なお根強く生き続けているケースがあります。そのひとつが「コレステロールの低下の意味と必要性」の物語です。

日本とドイツの一般的な認識の違いを簡単に照らすために、まず(ウィキペディアがその国の常識をある程度示すと考えて)ドイツ語と日本語のウィキペディアで「コレステロール」の項目を調べてみましょう。一見して分かるのは文章量の違いです。ドイツのウィキは日本に比べて1.5倍の長さがあります。コレステロールを化学的、生化学、生理学的な視点から説明した後、日本もドイツも一番関心が高い「医療と健康」の話に入ります。健康とコレステロールの話は、日本語では全文の50%ぐらい、ドイツ語では75%以上を占めています。文章の長さの違いの理由は、その始まりを見ればすぐに分かります。

日本語のウィキ:『コレステロールは動物の生理過程において不可欠の物質であるが、血液中をリポタンパク質によって循環する量が過剰となることで高脂血症を引き起こし、血管障害を中心とする生活習慣病の因子となることが知られてきた。』

コレステロール値の高さと血管障害の原因関係を、日本のウィキは事実のように語っています。これに対して、ドイツのウィキはスタンスが異なり、その原因関係を「ただの仮説」としています。

ドイツ語のウィキ:『1950年代にアメリカ人の栄養研究者 Ancel Keys の仮説によると、より裕福な生活は脂質過多な食生活を伴う。特にコレステロールをたくさん含む(肉、卵、牛乳、バッターや他の牛乳製品)食材の摂取が、高いコレステロール値をもたらす。この高いコレステロール値が、心筋梗塞の一番大きな原因である動脈硬化症を起こす。それに従うと、コレステロール豊富な食生活が心筋梗塞の一つの原因である。この仮説は論争中である。』

この仮説の発展と賛否両論について、ドイツのウィキではとても細かく紹介されているため、その文書量は日本のウィキよりずっと長くなっています。不思議なことに、日本語のウィキには「仮説」という言葉さえ一度も出て来ません。英語のウィキもはっきり「仮説」とし、「lipid-hypothesis(脂質仮説)」という別項目まであります。

さてこの仮説とコレステロール神話はどんな関係にあるのか?

ちょっと歴史的な流れを見て整理しましょう。1950年代に、血液中の高コレステロール値が血管硬化症や心筋梗塞の一つの原因になる、という仮説が提唱されました。これに対し「単純すぎる」という批判が起こり、色々な研究や議論が行われました。もしかするとコレステロールは原因ではなく、ただ血管硬化症と同時に現れてくる症状なのか。あるいは、人間の自然治癒力が血管硬化症による新たな害を避けるために生産するものなのか。ともかく、高コレステロール値と血管硬化症の原因関係は、いまだ実証的に証明されておらず、議論は今日まで続いています。そして1980年代までは、高コレステロールの治療も一般的な医療で大きな話題にされませんでした。

1976年に、遠藤章氏は青カビ(Penicillium citrinum)から発見した薬剤(コンパクチン/Compactin)で、犬と鶏の高コレステロール値を劇的に下げることに成功しました。これが、人間の血液のコレステロール値を思い通りに下げることができる「史上最大の新薬“スタチン”の発見と開発」(PDF)の幕開けです。「スタチン」は、コンパクチンと似た作用機構に基づく、コレステロール低下薬剤の一般的な名前です。1987年には、メルク社(Merck)が開発したスタチン剤(商品名:ロバスタチン/Lovastatin)が、FDA(アメリカ食品医薬品局)によって「コレステロール値を下げる医療品」として初めて認証されました。製造当初は麹かび(Aspergillus fumigatus)から産出したスタチン剤でしたが、1994年に合成化学的な生産に成功。一気に商業化が進み、製薬会社に未聞の大きな売り上げをもたらしました。2004−2012年のスタチン剤における年間総売上は、全世界で毎年2兆5000億円を超える巨額でした。ファイザー社(Pfizer)が開発したスタチン剤「Atorvastatin」(アトルバスタチン、米国と日本での商品名:リピトル/Lipitor)は「the world's best-selling drug ever」(世界で史上最高に売れた薬)として、医薬品業界や金融界で話題になりました。1996ー2012年の間に、たったひとつの薬がファイザー社に15兆円以上の売上をもたらし、数年間はファイザー社の総売上の20-25%を占めました。

この驚くべき経済的成功は、スタチン剤の独特な性格と大いに関係しています。というのも、スタチン剤は一度処方されると通常は死ぬまで処方されることになる薬です。それも実際に病気になってから投与される薬ではなく、コレステロール値が高いと判断されると、たとえ元気であっても処方されてしまいます。どんな数字が普通なのか、どんな数字が高いのか、その基準は国ごとに異なり、主な医学学会や協会(例えば:American College of Cardiology (ACC)、American Heart Association (AHA)、日本動脈硬化学会、ドイツの循環器学学会など)の推奨値に依ります。ですから推奨値が変動すれば、薬が必要と診断される人の数も大きく変わります。例えば、2013年にアメリカのACCとAHAはスタチン剤の処方方針を大きく変えました。これまでの方針では、アメリカの全人口の16%が治療必要と診断されていたのですが、新しい方針では、人口の31%がスタチン治療を必要とする「患者」になります。

問題となるのは、この基準を決める研究者と製薬会社(多くの場合、明確な公表は無い)の利益関係です。ここでは、このテーマを深堀りするのは避けますが、日本も例外ではありません。2008年、読売新聞は「指針制作医9割へ製薬企業から寄付金」(PDF)と報道、同じく2013年には「医師・医療機関に製薬業界から4700億円提供」(PDF)という見出しで、製薬産業と医療関係者との「不透明な関係」を指摘しています。

果たしてスタチン剤の投与は患者のためなのか、金儲けのためなのか?これほど莫大なお金が絡むと、中立な真心をもって患者さんの健康だけを重んじる研究や情報提供が難しくなります。

そもそもスタチン剤の必要性は、「コレステロールは悪い。高コレステロール値を下げなければ、病気の発症、または寿命を削る可能性が高くなります」というコレステロール神話にかかっています。この話を「仮説」ではなく、固いデータに基づく事実、もしくは科学的に証明された原因関係として、患者達や医者達に信じてもらいたい医薬品業界の気持ちはよく分かります。とはいえ、本当のところは一体どうなのでしょうか?

残念ながら、現在の医療システムにおいて、医療品の効用の研究、データや評価は、お金、力、ブレーンを使えば右にも左にも弄られるものです。そして極めて優れた専門家でなければ、それぞれの研究の意味や結果を分析、精査することはできません。このような時、ドイツでは非常に便利な機関があります。「医療品質・効果性研究機構」(Institut für Qualität und Wirtschaftlichkeit im Gesund- heitswesen、IQWiG)です。この研究機構は医療の品質や効率性を評価する目的で、2004年にドイツ政府によって設けられました。健康保険基金の資金で運営されているため、製薬会社とは一線を画した独立系の組織で、根拠に基づく医療を研究基盤にしています。2005年に、これまでのスタチン剤についての全ての研究を分析し、スタチン剤の有用評価について、148ページに及ぶ最終報告書をまとめました。「Nutzenbewertung der Statine unter besonderer Be- rücksichtigung von Atorvastatin」(PDF)を発表しました。(アトルバスタチンを参照とした、スタチン剤の有用評価)。その結論(p.93)は以下の通りです。

『Aus den vorliegenden Langzeitinterventionsstudien mit verschie- denen Statinwirkstoffen lässt sich nicht ableiten, dass das Ausmaß der LDL-Cholesterin-Senkung geeignet ist, den Nutzen hinsichtlich patientenrelevanter Endpunkte generell zu belegen oder zu quan- tifizieren.』

直訳します。「これまで行われた色々なスタチン剤による、長期介入研究からは、LDLコレステロールの低下の程度が、患者にとって大切な最終結果に関する実益をもたらすかどうかを一般的に証明するため、あるいはその実益を定量化するための適切な数値だと、推断することは不可能です。」

あえて法的な問題を考慮した分かりづらい言い方をしていますが、もっと分かりやすく言うと:これまで行われた色々なスタチン剤の効用について真面目な研究を見ますと、スタチン処方による悪玉コレステロールの低下が、患者に何らかのメリットをもたらすかどうかは証明できませんし、どんなメリットをもたらすか具体的に数字で示せません。悪玉コレステロール低下の数字は、患者のメリットを測る適切な数字ではありません。

フランス国立科学研究センター(CNRS)の循環器学者、Michel de Lorgeril (ミッシェル・ド・ロルジュリル)はさらにはっきりした言い方で説明します:「スタチン剤はコレステロールを減らすために優れた薬剤である。しかし、コレステロールを減らすのは意味がありません。我々が持っている科学的なデータからすると、コレステロールは有害物質ではありません。コレステロールに帰せられる、すべての罪は、全くの無根無実です。間違って悪者として断罪されています。」(PDF

おまけに、アメリカの食生活指針調査会(DGAC)は今年の科学的報告書(PDF)のなかで、食事から摂取したコレステロール量は、血液中のコレステロール値と関係がないと発表して、これまで長年推奨してきた厳しい食事におけるコレステロール制限を完全に放棄しました。「コレステロールは、過剰摂取を懸念すべき栄養素ではありません。」(報告書 p.17)

コレステロール神話が薄らぐにつれて、これまで無視されたきた研究結果や知識に注目が集りつつあります。その主旨は、コレステロール神話と正反対の以下の三つのテーマにに及んでいます。
①  人間の健康にとってのコレステロールの重要性
②  コレステロール値の人工的な低下の危険性
③  スタチン剤の副作用

昔からコレステロール低下の薬を飲み続けている、あるいはそういう薬を薦められている患者さんに、ホメオパスとしての意見を聞かれるとき、たいてい僕は次のように答えます。「ある程度健康に生きていれば、コレステロール値を全く気にする必要はありません。身体は個人個人に必要な、相応しいコレステロールを自ら生産し、コントロールしています。けれども極めて不健康な生活を送るならば(そういうクライアントは少ないですが)、生活全体を変えずに薬でコレステロール値を人工的に下げても、何のメリットにもなりません。かえって一方的な介入やスタチン剤の副作用によって、健康や寿命にもっと大きな害をもたらす可能性があります。」

コレステロール神話の崩壊は、日本より海外のほうが進んでいます。日本にもコレステロール低下の医療的必要性を批判する専門家は増えていますが、その声や研究発表は(昔の反原発の研究者や運動家とよく似たように)まだメインストリームの医療、患者と医者の常識には届いていません。もっと興味のある人のために、後日、このブログに日本語の資料編を載せます。どうぞご自由に使って下さい。