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今年9月にベルリンに滞在したとき、一日遠足で、旧東ドイツにあるケーテン(Köthen)という街を訪ねました。ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach)が1717ー1723年に宮廷楽長を勤めたことから、日本のクラシック音楽のファンにも良く知られ、日本人の観光客も多い街です。あまり知られていないのは、バッハのおよそ100年後に、ホメオパシーの設立者、サムエル・ハーネマンが1821年から1835年までケーテンに住んでいたことです。引っ越しの非常に多い人生(20回以上!)の中、いちばん長く一カ所に住んでいたのは、ケーテンでの15年間でした。日々の忙しい診療の傍ら、ホメオパシーの研究を続けながら、「慢性病」(Die chronischen Krankheiten )の5巻、そしてオルガノンの第3、4、5改正版を出版しました。

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「もっと賢くなって下さい。自分自身のことを第一に大事にして下さい。他の気遣いはすべて、貴方にとって二の次のことにならなければなりません。そして誰かが、貴方のプライドに訴えながら、貴方の気力と体力を超えるようなことを、強制的にさせようとするときこそ、あなたの幸せで健康な生活に反する行動に、絶対に誘われないように気をつけて下さい。褒め言葉が一種の賄賂です。そういうことばに耳を閉ざして、それに振り回されないように冷静に、落ち着いた気持ちで悠々と自分の道を歩き続けて下さい。道理をわきまえた賢明な男のように。喜びのため、ゆっくりとこころや体を通じて喜びを味わうために、人間はこの世に居るのです。仕事をするというのは(自分を酷使せずに)、その喜びを得られる程度で十分なのです。

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飛行機、電車、車のない時代には、遠い町に住む名医にかかりたいと思っても、治療のための長い旅行に出て、その医者のところを訪ねることのできる人はわずかでした。それでも望みの医者の助言が欲しいと思えば、手紙を書いて、治療のアドヴァイスを頼むしかありませんでした。そういう訳で、ホメオパシー医学の創立者であるハーネマンは、たくさんの「手紙患者」を抱えました。実はその手紙のやりとりに係る、たくさんのハーネマンの手紙が残っています。前にも一度ブログで紹介した、ボッシュ財団の医学歴史研究所には、これらの手紙が5.000通以上保管されています。当時の人々の生活、価値観、そしてホメオパシー治療の成り立ちに於いてもとても大事な資料です。

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